人生ちょいハードモード

人生ハードモードというにはおこがましいが、ほどほどにハードな人生をどうにかこうにかやり過ごしたい

肉体について

この頃運動をしている。

といっても家の近所をジョギング、ウォーキングを週1回やる程度である。運動の強度も、掛けている時間も全然大したことは無い。

ただ、やらないよりはやる方がマシかといった程度で、まずは運動をやることを習慣づけ、そこから段々と強度を上げたトレーニングを行っていければと思っている。

 

いったいに、僕は運動が苦手だった。足は遅く、パワーは無く、スタミナもなく、柔軟性や器用さも無かった。

例えば小学校の頃なぞは、鬼ごっこをすれば鬼のまま、誰も捕まえることができずに終わりを待つことになっていた。

腹筋運動は一度もできなかったし、器械体操の類はてんでダメであった。

サッカーを10年も続けていたが、引退する日までボールを蹴ればあさっての方向へ飛んでいくという有様だった。

もっとも、サッカーを(イヤイヤながらも、辞めると言い出す根性もなく、惰性で)続けていたおかげで、足の速さとスタミナはどうにか人並みになることができた。

しかしパワーや柔軟性といった点ではからっきしダメのまま、運動自体を辞めてしまった。側転運動や倒立なぞは、ついにできたことが無いまま大人になってしまった。

 

小学生のころまでは、自分がいま習っているようなことは、大人になれば自然と何でもできるようになっているものだ、と思い込んでいたが、

それは全くの間違いだということを、いま他ならぬ己自身をその証明の根拠として、実感することになっている。

忍耐と反復と工夫と試行錯誤の積み重ね、これでしか、物事はできるようにならない。

そして、これらをやりとげるチャンスというのは、意外なほどに少ない。一輪車と竹馬の練習なぞ、今から小学校の校庭を借りてでも行えと言えるだろうか??

小学生・中学生のうちに積み重ねていることは、必ず財産になる。

というか、それは大人になってからは増やせない、使う一方になる性質の財産なのだから、小中学生の内の努力は買ってでもするべきである。できるようになるまで、あきらめず、周りと比較せず、実直に・・・

 

今年で24歳になる。テレビの画面の向こうでは、同世代の芸能人やスポーツ選手が活躍し出している。

そこで思うのは、彼らの肉体の美しさである。見た目の美しさというわけではなく、実際にそれが躍動する、機能美の美しさである。

 

振り返って、ぼくの肉体の方に思いをはせてみる。

肉体の美しさは見た目の美しさでない、といったが、まず僕の肉体は見た目にも美しくない。

ガリガリの鶏ガラのような胸に、だらしなく胃下垂の垂れ下がる腹、枯れ枝のような手足、生白い肌。

機能美の方はもっと最悪で、クッションの役割を果たさない尻の筋肉の薄さ、満員電車の揺れに耐えられぬ足、きしむ腰骨、たわむ脊椎、凝り固まる肩甲骨。階段を登れば息は上がる。・・・

この間なぞ、カバンを持ち上げるだけで胸の筋肉が吊るという事態に見舞われ、これはまずいという危機感が一段と高まることになった。

 

そう、自分の肉体には、もはや「危機感」を感じるまでになっているのだ。

元々運動はできなかったとはいえ、ここまでひどくは無かった。せっかく小中高と積み重ねてきた体力も筋力も、

大学に入ってからたった数年運動しなかっただけで、もういまのような悲惨な状態になってしまっていたのだ。

スキニージーンズが似合ってしまう太ももなぞ、僕には必要ない。4階の階段であがってしまう肺なぞ、僕には必要ない。

 

せめて、自分が運動していたころはわずかに得意だった、体力面、スタミナから徐々に取り戻していきたいものである、というのが来年中の目標である。