車の運転について
免許は取ったが車の運転が苦手、という人はどれくらいいるだろうか。
自分も車の免許を取ってから4年が経とうとしている。
しかし、実際に車を運転した経験はごくわずかである。
祖父がまだ生きていたころ、祖父が入院している病院と自宅の間の、
車で15分程度の決まりきった道を往復していた程度である。
なぜ、自分は車の運転が苦手なのか。
そもそも、車の運転のどんなところが苦手なのか。
ひとつ挙げるとしたら、「車体感覚」というものがどうも分からない、というのがある。
「車体感覚」ってそもそも何か、いうと「車の大きさを的確に把握すること」ということになるようだが、
具体的に言えば、例えば今自分がハンドルをこれくらい動かしたら、車の進行方向はこれくらい曲がるので、
その時車の左端から右端は道幅のどれくらいの位置にあるのか、という情報を瞬時に・的確に捉えられる能力、とも言い換えられると思う。
ところが、自分には、まずハンドルをどれくらい回転させるとどのくらい車が曲がるのか、ということが分からない。
ハンドルを操作するための腕の動きと、視界に入ってくる情報の変化が、どうもうまくリンクしないような感覚があるのだ。
例えば車がゆるやかなカーブを曲がっている時、カーブに沿ってハンドルを動かしているつもりが、
いつの間にか車が車線をギリギリ飛び出すか飛び出さないかのところまで寄っており、隣の車線を走る車に後ろからクラクションを鳴らされる、なんてこともあった。
こういうことを人に相談すると大抵「慣れだ」と言われる。
「最初はみんなできないけどさ、慣れればどうにかなっちゃうもんさ」と。俺もそうだった、と。
しかしながら、自分にとってはその「慣れ」にものすごく時間がかかること、あるいはいつまで経っても慣れないところが問題なのだ。
例えば自分が10年以上続けたサッカーはどうだったか。
幼稚園の頃から続けていたという割に、高校生になってからもボールを蹴ればあさっての方向に行くし、フェイントには簡単に引っかかるし、
中学からサッカーを始めましたって人や、サッカーやったことないけど好きで昼休みにしょっちゅうボールを蹴ってるような野球部の人の方が上手いという始末だった。
自分がサッカーに「慣れ」ていくよりも早く、ほかの同級生たちはどんどんサッカーに慣れていき、どんどん上達していった。
もっとも、自分も10年間下手なりにやめずに食らいついていたおかげで(やめると言い出す度胸が無かっただけだが)、
同級生の中でもドべだったスピードやスタミナはどうにか人並みになったし、一度もできなかった腹筋運動はできるようになったし、
本当に何も上達しなかったかというとそうではないのだが、
肝心のサッカーは上手くならないまま現役生活を終えてしまった。
思うに、自分は現役時代、サッカーがそこまで「好きじゃなかった」のではないか。
「好きこそものの上手なれ」というけれど、まさにその言葉は正しいと思っていて、
好きなことに対してはとことん根を詰めて黙々と、地道で単純な努力を苦にもせず(というか、やってる間はそれを「努力」とすら思わない)
今自分のやっている練習がどうやったら上手くできるかをいろんな角度から考え「たくなる」し、また実戦で勝つためにどうしたら良いかを必死で考え「たくなる」。
こうして「努力」と「欲求」が上手くリンクすることで、おのずとその好きなことばかり考えるようになり、
考える時間が増えるとおのずと考え方も一つではなく色んな考え方を増やせるようになり、またその考えをどんどん積極的に実践に移したくもなってくる。
仮に「慣れ度」=「やった・考えた回数×やった・考えた幅」とすると、
回数も幅も、質・量共に必要になるが、それを質・量ともに高めるためには多大なエネルギーが必要になる。
そのエネルギーの源泉となるのが、その対象が「好きである」、ということである。
ここまでグダグダと1500字近くも書いたが、結局自分が車の運転が苦手なのは、すなわち自分が「車の運転に興味を持っていない」からだという結論に落ち着きそうだ。
では、車の運転に興味を持つにはどうしたら良いだろうか?
興味を持つ云々の前に、とにかく運転することから始める、というのが一つ考えられる。
すなわち、嫌嫌でも運転を続けていくうちに、ある程度運転が上達し、
上達してくるで段々運転が好きになってきて、好きになるとますます運転するようになって・・・というような循環ができる、ということ。
二つ目に考えられるのは、車の運転と結び付けられるような趣味を知ることとか。
夜の海辺を走るドライブの気持ちよさや、車でしか行けないような山奥に旅行しに行くとか、楽しみと運転する行為を上手く結びつけることだ。
しかしながら、往々にして何事に対しても楽しみよりも恐怖感が先行してしまう質にできてる自分としては、
運転してて道に迷ったらどうしようとか、故障したら直し方が分からないとか、
この道をうろうろ回ってたら音がうるさくて近所の人に迷惑じゃないかとか、
夜がもし冷えてきた場合、いま自分が持っている防寒具で充分かとか、
偶然ヒッチハイカーを拾うことになって、拾ったは良いが会話が続かずに気まずくなったら、とか、
やっぱり途中で帰りたくなったら、とか、
何かやろうとするたびに4~5個の心配事を即座に見つけ出し、思い悩んだ末に恐怖感がワクワク感に勝ってしまい、結局何もしないということが常なので、
この2番目の方法には期待しないでおく。
「好き」が「恐怖心」に負けがちであるという根本的な性格を直さないと、上達までの道のりは長そうである。。。